2016年11月18日金曜日

遠くで起きた出来事をどう考え、感じるか。

先日の「りんび作品展」で、後援をいただいた東日本臨床美術りぼんのブログに、作品展の報告もブログアップしましたので、リンクをはっておきます。こちらもぽちっとなっしてみてくださいね。


さて、この東日本臨床美術りぼん(略してにほりぼ)は、東日本大震災の半年後から、各被災地で、臨床美術のワークを継続して実施しています。 当初はまだまだ、復興復旧もほど遠く、やっと人々が、仮設住宅に入ることができ、支援物資の中、毎日不自由な暮らしを送ってらっしゃいました。
岩手県・宮城県・山形県の仮設住宅の集会所をめぐり、一時でも楽しい時間を・・・と、実施してまいりました。福島県の場合は、半年経ってもなかなか仮設住宅での実施は難しく、1年以上経ってからやっと郡山市内の仮設住宅集会所で実施できました。
どこの被災地でも、突然、自分の自宅が消え、町が無くなり、帰る場所がなくなってしまった。。保険証も免許証も自分を証明してくれるものもなく、失ったものは物以外にもたくさんありすぎて、あまりにも大きすぎる。。そんな中での「にほりぼ」の活動でした。

臨床美術は、楽しいだけのお絵かきでしょうか。。作業療法でしょうか。。美術教室でしょうか。。メンタルケアでしょうか。。この美術創作方法は、そのどれでもあり、そのどれでもないといえます。
おそらく、10人がいたら、10人の方のための美術創作になるでしょう。被災地で臨床美術をご経験くださった方の中には、「心の穴を一時でも埋められた。。」「してもらうばかりの毎日だけど、久しぶりに自分の頭を自分で動かせた。。」「(家のものは全部流されたけど)部屋に飾るものができた。。」と嬉しそうにお話くださった方がいらっしゃったことを思い出します。

私たちは、遠くで起きている出来事を、自分のことのように心痛めることができる、尊い魂と繊細な心を持っています。それは、どんな動物よりも複雑で繊細な心があるからです。また、それゆえに、嫉妬心やねたみや、うらやましいという心があるのも、人間です。それは、誰でも多かれ少なかれ持ち合わせていて、住んでいる環境や気質で違うでしょう。しかし、そのことを、しっかりと自分たちのまわりで起きていることと捉え、損得ではなく、排除ではなく、何が(この人には)(この地域には)必要なのだろう? と思い思いに感じることが大切なような気がします。一番身近な家庭の中から考えほしいな。と思った今日この頃でした。