私のお友達Hさん。自宅で参考作品作りとチラシ制作と準備に次ぐ準備に追われ、空いた時間には材料の整理にとこもりがちの私を連れだしてくれます。この日も『干物を買いに相馬にいこう!』と、まるでキャッチコピーのようなセリフを言い放ち、男前の運転さばきで連れて行ってくれました。
『まずは、相馬中村神社でお参りしないとね!』というHさんに、戦国武士さながに「おー!」と後を付いていきましたところ、すごく立派というより、カッコイイ神社様で驚きました。相馬野馬追の出陣式で有名ですね。両脇には、馬の顔たちが、ずらり。私もHさんも、なんというか、場所の雰囲気をとらえるのが得意?なたちでして…(霊感とかそういうものではないです)。「この神社。なんかこう、違うね」『なんか違うね。』「かっこいいというか、キリッとしているというか。」『神社というよりお城に近い…』そうそう。その表現がとてもしっくりきます。お馬さんのオブジェ?が多いせいでしょうか。歩いてみると、ここは、どうやら「中村城」の城内にあった神社で、パンフレットによると「相馬利胤(としたね)は、慶長16年7月、相馬市中村で城の造営に着手し、12月2日に小高区から移り、以来260年にわたり相馬中村藩相馬氏の居城となりました…」。どうりで、きりっとしていると思いました。中村城のはじまりは、平安時代。坂上田村麻呂さんが蝦夷との戦いのときに、菅原けいじつさんに守らせた…というのがはじまりで。。。いろいろあって、としたねさんの時代になったと。。中村城は高い丘にあるお城なのに、水路跡はもちろん、池も未だにあちこちと残っています。
当時、お城の南側にあった宇多川をなんと、さらに南に移し替え、お城をひろーくしてしまった。。。それもこれも蝦夷軍や伊達郡に備えたためといわれています。残念ながら天守閣は雷が落ちて消失してまいましたが、お殿さまがお散歩したであろう、庭園らしき場所も残っていました。当時の馬といったら、現在のフェラーリ。かっこよくて早くて大変貴重な存在。相馬中村藩6万石。馬を大切に大切にしていたことが遺構からも神社からも、(相馬野馬追)からも伝わってきますね。
というわけで、いよいよ相馬浜の駅松川浦。松川浦といったら、子どものころよく海へ連れて行ってもらいました。アクセスも非常に良くなっているので、福島市から一時間少しで到着できます。おひるごはんを食べましたよ。
奥の小さなお椀に入っているのがお出汁。何杯でもおかわりOKな「出汁バー」です。 濃いお出汁とかつおとこんぶの澄んだお出汁がありますが、高級料亭さながらのおいしいお出汁でした。
相馬のお魚もたくさん販売しているので、クーラーボックスを準備してお越しになってくださいね。お店のスタッフさんもみなさん、優しくてほんわかしました。