2022年3月11日金曜日

3.11に寄せて

3.11東日本大震災から11年となりました。あの日から変わったこと。みなさんはありますか? 私は、2012年から2013年まで宮城県名取市保育所でチャイルドアートセラピーを。2012年から2020年までは、宮城、山形、岩手、福島の被災地で、臨床美術のボランティア活動を続けていました。最終的には、福島市の子どもの施設で終了しました。

 当時私は、震災2週間後に石巻の友人宅へ食糧物資を届けにいきました。まだ被災して2週間でしたので、やっとがれきの間に道らしきものが通っただけでした。あたりは焦げ臭く、道端には、冷蔵庫、電子レンジ、帳簿、ぬいぐるみ…あらゆるものが流れついていました。電柱に車が2台3台と“引っかかって”いました。そんな情景を見た時、はっと気づきました。今自分がいるここも、誰かが流されていたんだと。

友人のご両親は、自営業だったため、高台に店舗がありました。その日も店舗にいらしため、お2人とも無事でした。お父様は、海側から車で坂を上ってくる人たちに、後ろから波が来ているから早く早くとせかし、とうとう波は、あと数メートル手前というところでやっと止まったそうです。洗濯機のように真っ黒い波が、どんどん車を飲み込み…そんな風景をたくさんの人が見ていたそうです。

 ご両親は配給されたパンを私にすすめてくれました。要らない要らないと断りましたが、「たくさん配給されるし、パンはもう飽きたよ~」と笑って、友人が買っていったモスバーガーをおいしそうに食べていました(笑)。

ご両親は美容室を営んでいたのですが、断水していたお水が出るようになってからは、ストーブでお湯を沸かして、洗髪だけ再開したそうです。お風呂に入るのもままならない毎日、何かできないかと考え、水があればシャンプーだけはできると思い立ち、ご夫妻ではじめたと伺いました。「気持ちよかった~と言ってくれてね」と嬉しそうに話して下さいました。そして、福島も今、大変だね。と原子力発電所の事故の心配をしてくださいました。

 ご自宅を流されてしまった多くの方は、避難所にいらっしゃいました。ある方から、これまでは自衛隊と呼んでいたけど、今は自衛隊さんとさん付けだよ。と教えてもらいました。自衛隊さんは、行方不明の方の捜索をしてくださり、街に道を作り、炊き出しもしてくださり、本当にありがたいと。

 3.11によって、何かしら見方や感じ方が変わった方も多いと思います。ことに芸術家など、クリエイティブな仕事をしている人は、繊細な方が多いためなおさらだと感じます。

さて、このあと福島に戻った私は、福島で出来ることはないかと孤軍奮闘することになりますが、なかなかうまくいきませんでした。悶々としていたところに、日本臨床美術協会から被災地支援プログラムのお話をいただき、チームを組んで、7年弱のボランティア活動へと突入するのでした。

※臨床美術のアートボランティア活動は、ライフラインが安定したあと、有資格者がチームを組み、細心の注意を払いながらアートセッションをいたします。