2017年1月7日土曜日

感動は心の中にあるんだよぉぉ

先日、「感動」について会話がすすみました。「最近感動していないなぁ」「感動忘れた」「あまり感動しなくなった」・・・等々。現代人特有の“悩み”?なのかもしれないなぁと思っていました。
絵を描いていると必ず、何かが変化してきます。人によって、それは違うのですが、色彩に敏感になった。絵を見るときこれはどうやって描いたんだろうと思うようになった。何より、絵って面白い。など。中には、上手に自分をセルフケアするツワモノ?もいます。セラピスト不要(笑・いいことだわ!)。
 感動ってどうするんだっけ? どうにかするもの? 誰かに与えてもらうもの? もしかすると、現代人は、お金を払って感動させてもらうことが当たり前になってやしないかい? 心を動かすものは、自分の中にしかない。たとえば、“時計がない夢と魔法の国”へ行っても、 実際に行ってみて、遊んで楽しい場所だった。という経験がなければ、何度行っても感動はしませんね。。もとより、感動の尺度は、個人個人で違うものですから、“時計がない夢と魔法の国”よりも、近くのスーパー銭湯の方がダントツ楽しいという方もいますし。経験したその結果が自分の心を動かしていくのです。

 たとえば、お金を支払ったから感動できるんだ。と思っている方がいたとします。ま、それでもいいと私は思います(ちょっとさみしいけど)。「お金を支払ったんだから、行かなくちゃ(または食べなくちゃ)元取れない!」と言ってしまうときってありませんか? だいたいは冗談で言う言葉でしょうけど、食べること・行くこと=感動の元となる体験 が、お金にとって代わってしまっています。言うまでもなく、感動=金額の問題ではなく、感動は体験と連動するもので、感動したいのであれば、体験することが近道のような気がします。
 今の時代ではお金が無いと体験できないものの方が多すぎるので、感動するという感覚が鈍くなってしまっているのかなぁと思います。お金を持っていなかった子ども時代ってそれなりに楽しかったでしょ?

 感動したいなら、絵を描きましょう。 想像と創造は、人生を何倍にもふくらませ、今日一日生きていることが、どんなに奇跡的で、新しいかわかるでしょう。

そんなメッセージが届いてきます。
たとえ、スーパーで売っている小さなホタテでも、大きな海の底からやってきて、自分の手元にあるんだ。と思うとそれだけで感動してしまうわたし(苦笑)。そしてなかなか捨てられず、アトリエの材料として使うことに。。心の中にある感動ってやつはそう、やすやすと捨てられないのさ!