2014年6月28日土曜日

古河でおしごと、の合間に・・・

茨城県古河市でお仕事をしました。個人セッションです。ちょっと時間があったので、美術館や文学館、歴史建造物などを見学してきました。
では、ご紹介します。たかみせんせき・鷹見泉石さんです。せんせきさんは、1785年(天明5年)生まれです。せんせきさんは、古河藩の家老のお仕事をしていました。洋学が得意だったので、蘭学者のお友達もたくさんいましたよ。オランダ名前まで持っています。せんせきさんが晩年住んだお屋敷が・・・
こんな感じで残っています。玄関りっぱですね。左の竹林もすばらしいかった。。お部屋はこんな感じ・・・
 時代劇でよく見かけますね。ところで、せんせきさんが住む前は、古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷だったのですよ。せんせきさん以外にも、家老さんたちの家として使われたようです。当時の大きさは、建坪が100坪(今の2倍)。お屋敷の大きさは今の4倍以上。しかもこの屋敷は、古河城を作った時に出た余材で建てられたそうです(現地のパンフレットから抜粋)。
どうりでじょうぶそう。。そして迫力あるなぁ~。政界を引退したせんせきさんは、この家で蘭学を引き続きお勉強されたみたいですよ。そのときの膨大な資料などが、今、古河歴史博物館にあります。これがまた、すごい量でして、内容もとっても面白いです。
同敷地内には、古河藩士池田さんの四女・画家のおくはらせいこ奥原晴湖さんの画室「しょうすいそうどう・繍水草堂」があります。家ですね。ほとんど。
熊谷から一部を移築・復元されたものです。せいこさんの作品は、博物館で見ることができますが、女流画家とは思えないド迫力の水墨画作品でした。でも決して荒くはなく、中央の画壇たちとの付き合いに距離をおき、地元の人たちにサポートをされながら自分スタイルを守って描いてきた方らしい作品です。せんせきさんとの交流もあったようです(だからご近所に画室があるんですねぇ)。
ほかにも、篆刻美術館、街角美術館などを歩いて見て回りましたが、まだまだ見足りませんでした。最後に、建物が大正時代を思わせ、めずらしい蓄音機でSPレコードを聴くことができる、古河文学館の写真を。

こちらには、大正時代に発刊された子ども雑誌の草分け「コドモノクニ」の紙面を飾った原画などもありました。この時代の子どもはどきどきしながらページをめくったんでしょうね。古河市もっと掘り起こしたくなりました!(^^)!