2016年3月11日金曜日

3.11

今日で震災から5年です。「あの日、どうしてた?」という話を何度したことだろう。みんなさまざまな日常を送り、地震を経験しています。仕事場で地震にあい、帰宅しようとしたけれど、道が混んでいて帰ることができず、近くのファミリーレストランが緊急に受け入れてくれたので、そこで一夜を過ごした人。近くのビジネスホテルが一般に解放してくれて、毛布を貸し出してくれたおかげで、温かくロビーで過ごすことができた人。さまざまでした。私は、新幹線の下を走る車の中で地震を経験しました。ものすごい揺れで、信号機が折れるのではないかと思ったくらいです。揺れが収まる前に車を出さなければ、渋滞になる。そう思い、車を発進させて家に着きました。その後、テレホンカードを手に、駅に走り、公衆電話から家族に連絡をしました。最近地震が多いなぁと思っていましたので、“備える”ことができました。今、公衆電話が街から無くなっていますが、あの時、私の中ではツイッターよりも、公衆電話が役に立ちました。日ごろから公衆電話のある場所を気にしていてよかったです。
ただ、原発の事故は想定外でしたので、 ラジオから流れてくる情報だけが頼りでした。そのとき、感じたことは、もっと放射線や原子力について知識があれば。という思いでした。「何もわからない」ということは、情報がそのまま真実になってしまうということです。嘘ではないか?と思いつつも、本当かもしれない。という感情は、かなりのストレスになります。そして、自分にとって都合がよい方を選択し、悪いことには輪をかけて不安と恐怖を感じていきます。「もう、信じられるのは、テレビに映るボロボロになった原子力の建屋の姿だけだなぁ~」などとテレビを見つめ、自衛隊さんのヘリコプターでの消火活動を見ながら、「このヘリコプターは日中飛んでいたやつかしら?」と気の抜けた顔で見ていました。「これから福島はどうなるだろう・・・」と思っていました。ニュースで、オバマ大統領の口からフクシマと出たときは驚きましたが、レディガガが2億円の寄付金を被災地に送ったときもひっくりかえるほどびっくりしました。5年経っても、つい2年くらい前のように感じてしまいます。被災地でボランティア活動を続けていたこともあるとは思いますが、何よりも、最近やっと近所で除染が終了し、あちこちにフレコンバックがあり、毎日見ているので、それもひとつにあるのだと思います。ご近所に住む90歳のともちゃんの畑には、フレコンバックが埋められてしまいました。
そうそう、90歳のともちゃんの畑にかけるエネルギーは、原子力なんてもろともしていませんでした。ともちゃんは、その年の秋、さつまいもをふかして持ってきてくれました(汗)。にこにこしながら、玄関先で「これ、食べて」と。「そうだ!生きることは食べることなんだ!戦争経験した人は強いなぁ」・・・とはいえ、さすがに食べることはできませんでしたけど。。そんなお年寄りの畑愛までも奪ってしまう、この事故はやっぱりあってはならないのです。
私の住む福島市は、今日ものんびりと過ぎていきます。